皆さまおはようございます。
このブログ。読んでいるよ!とお声をかけて下さる方が少しずつ増えてきました。
いつも読んで頂いている方はもう気が付いていると思いますが、私は文字化する時に
『思』と『想』を使い分けます。
『そこにおもいはあるのか』という文章に対し漢字変換すると
『そこに思いはあるのか』より『そこに想いがあるのか』の方が感情が入っている感じがする(漢字だけに(;'∀'))
『思』→頭で思う。『想』→こころで想う。
今日のタイトルは『思』です。
最近八千代市で介護保険のお仕事していると、最初は『申し訳ない。忙しくてそこまで出来ない。簡略化する。』と想っていたことが、『忙しいんだからしょうがない。簡略化が普通。』と思うようになっていることを多く感じる事案に遭遇しています。
簡略化や業務効率化は悪ではない。事案について詳細を書くと否定と捉える方もいると思いますので、詳細は書きません。
簡略化・業務効率はしょうがない。タイパはとても重要。最終的な結果は簡略化・効率化で構わない。でもそれは誰都合?相手が望んだことなの?
簡略化を選んだ理由を『思う』から『想う』に変えませんか?
上手く言葉にできませんが、
ケアマネジャー・介護サービス事業者・包括職員・行政等支援者から見た対象者は
(単に利用者と言う事ではなく、例えば包括から見たケアマネジャーなども含めた)
多数になるかもしれませんが、対象者からみれば『個』になると私は想っています。
なんだか抽象的な文になってしまい申し訳ございません。想い伝わらないかな?
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